新・暮らしの経済手帖 ~時評編~

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国民の低欲望化を招いた「失われた30年」

先日偶然にプレジデントオンラインに書かれた大前研一氏の記事が目に留まりました。読んで数行で読む気が失せるほど箸にも棒にも掛からぬ悪記事ですが、今回はこれをネタに「失われた30年」や流動性の罠について論考したいと思います。

 

まずこの記事は冒頭からどうしようもないもので、大前氏は「日本の政府債務残高は対GDP比で236%(18年)。この数字は財政破綻したギリシャの183%、国家そのものが破綻したベネズエラの175%を大きく引き離して世界ワースト1位だ。」などと書き述べています。

私がこのブログの「税と国家財政問題について」編で書いたとおり、国家財政に限らず企業のものも含めてバランスシートは資産側と負債側の双方をみて財務状況を把握しないといけません。

財務官僚が煽る国家財政危機の嘘 その1 バランスシートから

財務官僚が煽る国家財政危機の嘘 その2 GDPとプライマリーバランス・債務残高

「日本の政府債務残高は対GDP比で236%」と言い出している時点でBSの負債側しか見ていないことがモロバレです。国家財政が悪化しているのか、健全化に向かっているのかについては経済成長率と国債金利も加味し、債務の膨張が収束しているのか発散しているのかで判断します。ここ数年までは景気が好調で税収も増加傾向であったために収束傾向でした。

 大前氏はMMTを批判する記事というかたちで文を進めていますが、それとは違う理論や論理に基づく安倍政権や現行日銀が進めてきた金融財政政策とMMTを混同している点も質が悪いです。アベノミクスの場合はMMTではなく、彼らが主流派寄りの理論だとして否定しているニューケインジアンが推奨した経済政策の手法に近いです。大前氏は経済学の専門家でないがゆえにMMTとニューケインジアンの主張の違いが理解できないのです。

こちらがまとめたMMTに対する総括記事

 大前氏は”デフレ脱却のために政府・日銀は2%というインフレ目標を定め、財政支出をジャブジャブと増やしてきた。”などと書いていますが、いまの政府・日銀が数年間とってきた政策は金融緩和政策を主軸においています。「第2の矢」という言葉が示すとおり財政政策は従属的な扱いです。大前氏はいまの政府や日銀は財政を放出して景気を盛っていると思っているのでしょう。こういう認識はMMTerとまったく変わりありません。この点において大前氏とMMTerは同類だと見做していいでしょう。金融政策と財政政策の区別がつかない経済学音痴だということが一目瞭然でわかります。

 

さらに大前氏はこんなことを文中で書いています。

”公的債務が対GDP比約240%まで膨れ上がっているのに、財政破綻せず、19年も100兆円を超える予算を組んでいるのだから、傍目には日本はMMTを実践しているように見える。しかし、もし政府や日本銀行の目標通りに物価が上がったらどうなるか。当然、金利は上がる。今は超低金利だから国債の利払いは年間約9兆円で済んでいるが、金利上昇に伴って新規発行や借り換えで利率の高い国債が発行されるようになったら、利払い費は一気に増加していく。

他方、金利が上がって国債よりも高利回りの金融商品が登場してくれば、海外の投資家はもとより、日本の金融機関や生保・損保なども国債を売ってそちらにシフトするだろう。それは国債の暴落を招き、市中から国債を買い集めて大量に溜め込んでいる日銀のインプロージョン(内部爆発)のトリガーを引く。結局、国債金利も上げざるをえなくなって(上げなければ売れない)、財政破綻の坂道を一気に転げ落ちるのだ。”

 

 どうやら2年前にも大前研一は同じようなことを言っていて某高校の教師に散々こき下ろされていましたが、ホントにどうしようもないですね。

高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会 大前研一

 

他に「ケルトン教授のみならず、日本経済の実態を知らなかったノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマン教授やジョセフ・E・スティグリッツ教授も読み違えたことだが、私が再三指摘してきたように日本は世界で唯一の「低欲望社会」だからである。」などという不届きな発言もやらかしています。このことはクルーグマンも「流動性の罠に陥っている」というかたちで説明していて、その処方箋として(企業家たちの)将来の予想をかえるインタゲやコミットメントの必要性を唱えていたのですが。

 それにしても大前という方は「日本の特殊性」という言葉が好きなようですね。これでは「経済学ではなく経済論だ」などと言っている三橋貴明藤井聡、中野剛志らと変わりません。

 

もうひとつ氏の発言を引用しますと

”政府が支出を増やせば経済活動が活発になって需要が生まれるというのがMMTの理屈だが、そもそも日本社会は需要の基になる「欲望」がなくなっている。少子高齢化による人口減少や将来に対する漠たる不安から低欲望化が進行し、日本人はお金を貯めるばかりでいっこうに使わないし、いくら金利が下がっても借りようともしない。だから個人金融資産が約1800兆円も積み上がり、その大半が金利もつかない銀行口座に塩漬けにされているのだ。

「欲望」は金利とマネタリーベースで操作する。これが20世紀の経済原論の大前提である。それが日本では崩れている、という実態を知らない学者が短期間のマクロ現象だけを見て考えると根本から履き違える。「今のところ大丈夫」が現実であって、「これがセオリー」というMMTの考え方は大変危険だ。”と話しています。間違いは赤字で示しました。

実際にはアベノミクスの異次元の量的質的緩和によって企業の投資意欲や雇用拡大意欲を最大限引き出すことができていました。企業家の将来への予想をかえるインタゲやコミットメントの力によって金利操作による投資や雇用の拡大を計ることがまだ可能だったのです。

 

そして大前氏はバブル時代に青春期を過ごした世代が引退後にガンガン消費しまくってくれることで”低欲望社会を克服できる”などと考えています。やれやれです。 

 

過去30年近くに渡り、三重野日銀以降の政府・日銀の金融財政政策は企業の投資意欲や雇用拡大意欲を削ぐようなことばかりしてきました。そのおかげで多くの人々の所得が伸び悩み、リストラや非正規雇用拡大等で不安定化します。多くの就労者は「自分はいつクビを切られるかわからない」「勤めている会社が倒産して路頭に迷うかも知れない」「自分の所得は伸びない」といった負の暗示=パラノイアに囚われることとなります。大前氏は「少子高齢化による人口減少や将来に対する漠たる不安が低欲望化を招いた」などと言っていますが、人口構成問題よりも政府・日銀の萎縮一辺倒のひどい金融財政政策が人々に大きな不安や不信を与えているのです

多くの就労者たちが持つ所得不安定化や目減りの不安はまともな金融財政政策さえやれば払拭できることです。それをやらないでおいて人口構成問題のせいにして逃げたり、バブル世代の高欲望をあてにすることはナンセンス極まりないことでしょう。

低欲望から高欲望社会へとシフトさせるには将来の予想の転換、合理的期待仮説が鍵を握っています


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