三重野日銀総裁が引き起こしたバブル崩壊は橋本龍太郎政権の増税緊縮財政がもとでさらに深刻しました。橋本政権の後継内閣である小渕恵三政権とその財務相であった宮澤喜一はその手当のために思い切った財政出動を行い、景気悪化の進行を食い止めたのですが、それは弥縫策に過ぎませんでした。
政策金利の方もどんどん引き下げていき、ゼロ金利にまで到達してしまったのですが、それでも企業の投資が伸びないという現象を招きます。ポール・クルーグルマン教授は「日本は流動性の罠に嵌った」と述べました。今回はそれについて述べます。後日非伝統的質的・量的緩和政策を採り入れたリフレーション政策について解説する予定ですが、その前座という意味もあります。
Y(GDP)=消費C+投資I(利子r)+政府G+純輸出(EX-IM)となります。不景気や恐慌になると企業の投資が目立って落ち込みます。
企業は新しい事業のために巨額の投資を行うときは銀行から融資を受けたり、株式を発行して資金調達を行いますが、金利が高いとそれを支払える額以上の儲けが出せなければ投資しても損をします。そういう予想のとき企業は負債を背負ってまで投資をしません。金利が下がるとさほど大きな儲けがなくても採算が十分採れるようになるのでそれがやりやすくなります。金融緩和といわれる政策は企業の投資のハードルを下げるものです。
ところが三重野康日銀総裁が1990年代初頭にバブル退治といって金利を思い切り高くしてしまいました。このおかげでどこの企業も思い切った投資ができなくなり、設備更新・増強や人員増加をしなくなりました。前にここで1990年代にトヨタをはじめとする自動車メーカーが陳腐で安普請なクルマばかり造りだすようになったと書きましたが、それは思い切って多額の資金を投じられなくなったが故に起きたことです。
その上に橋本龍太郎の増税・緊縮財政ショックで景気がさらに悪化し、同時に多くの勤労者は賃下げや非正規雇用を押し付けられてしまいます。1997年にデフレの慢性化が決定づけられました。これに対し小渕政権が財政出動を行ったり、金利を引き下げしたもののデフレの進行を食い止めるには至りませんでした。
本当はもっと早い段階で公定金利引き下げなどの金融緩和を行っていれば風邪程度で済んだものが、増税・緊縮財政やら日銀の金融政策対応の遅れのために重篤化し、肺炎になってしまったようなものでしょう。このことは改めて述べます。
ISとは投資(Investment)と貯蓄(Saving)のことです。モノやサービスなどの財市場における利子と国民所得のバランスを表す線です。上で述べたように利子率(r)が下がりますと企業は投資(I)を積極的に進めやすくなります。投資が増えた分国民所得(Y)=GDPも増加していくことになります。グラフのIS線は右下がりとなります。
LMは流動性選好(Liquidity Preference)と貨幣の供給量(Money Supply)という意味です。貨幣市場における利子と国民所得のバランスを表します。L=需要とM=供給の関係を示します。
好景気でお金を借りて事業を拡大したいという企業が増えたり、我々消費者がいろいろなモノやサービスを活発に購入するようになると資金需要Lが大きくなります。あとマネーを資産として蓄えたいという需要も資金需要Lを大きくします。
そうなると供給するマネーMが不足気味になって金利が上昇します。
需要L>供給Mとなります。
逆に不景気で投資を縮小しお金を借りる企業が少なくなり、消費者がモノやサービスを買い控えてしまうと資金需要Lが萎みます。
需要L<供給Mでマネーの方がだぶつき気味となるわけです。
これをグラフ化するとLMは右肩上がりの線となります。
IS線とLM線が交わったところが、均衡国民所得と均衡利子率となります。
金利引き下げや貨幣供給増加による金融緩和政策を実施するとこうなります。
日本人の場合、株式投資といった直接的投資ではなく、民間銀行に定期預金としてお金を預け、銀行にお任せで間接的に企業へ投資してもらう形の資産運用を好みました。ところが銀行の定期預金の利子率がどんどん下がってくると、10年・20年お金を預けてもスズメの涙程度の利子しかつかなくなります。多くの預金者は(間接投資である)定期預金ではなく、いつでもお金を下ろしやすい(現金のタンス貯金同然の)普通や当座預金へ切り替えるようになりました。
こうなった背景をもう少し深く掘り下げてみていきましょう。
(その2に続く)
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